茨木國夫きもの宣言25周年を迎えて
平成5年の夏、着物だけの生活を始めるに当たって、『きもの宣言』をしました。
呉服屋の3代目として、将来の不安から逃げない人生を送りたいからです。
時流に逆行する『きもの宣言』は、数えきれないほどの笑い話があります。
着物は自我欲を包んでくれるので、少しは穏やかな性格になりました。
茶道・能楽などの日本文化に触れたことで、「和を愛する心」が目覚めてきました。
現代社会は、核家族化やIT化が進み、どんどん変わってきます。
しかし、変えてはならないものは、私たち『日本人の心』だと感じています。
人それぞれに眠る『豊かな和の心』を再発見していくことは、とても大事だと思います。
着物から豊かな和の心を育み、ご一緒に日本人の美意識を世界に広めていきませんか・・・。
『きもの宣言25周年』を迎えた今、天命に出会ったような気がしています。
きものサロン和の國 茨木國夫
■三代目・茨木國夫 略歴 1961―――現 きものサロン和の國代表
昭和36年 |
熊本県菊池市隈府で、國廣・幸子の長男として誕生 |
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昭和61年 |
熊本学園大卒業後、証券会社(広島)に就職 |
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平成元年 |
当時22歳の“ゆり”(元、熊本ファミリー銀行勤務・山鹿市菊鹿町 |
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平成5年 |
パリにて【きもの宣言】。着物だけの人生を歩み始める |
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平成6年 |
有限会社いばらき 設立 |
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平成10年 |
茨城県結城市/本場結城紬産地機織り体験/3泊4日 |
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平成11年 |
群馬県/芝崎重一氏探訪 |
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平成12年 |
小冊子:「もっと、かしこい女性になるための・・・7つの秘訣」出版 |
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平成13年 |
長野県/横山俊一郎氏探訪 |
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平成14年 |
熊本市・カサオーキッドにて展示会 |
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平成15年 |
小冊子:「桃栗三年柿八年、茨木國夫は、まだ十年」出版 |
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平成16年 |
きもの研究家・森田空美講演会開催(於:アークホテル熊本) |
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平成16年12月 |
きものサロン和の國/熊本市城東町にオープン |
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平成17年 |
5月 |
「和楽の会」開講(於:グランガーデン熊本) |
10月 |
「和の國ブログ」書き始める |
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12月 |
きものサロン和の國ホームページ新設 wanokuni.com |
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平成18年 |
和の國大学院 開講 |
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平成20年 |
中東・ドバイビジネスに挑む |
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平成21年 |
「きもの宣言」茨木國夫著/出版 |
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平成22年5月 |
「NPO法人きもの普及協会」を設立、代表理事に就任 |
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平成23年 |
2月 |
東京都八丈島/菊池洋守氏探訪 |
6月 |
東京・南青山にて「人間国宝染織家展」開催(3年連続) |
12月 |
「熊本ゆかりの染織作家展」開催(6年連続) |
平成24年 |
「和で幸福になる三十三箇条」茨木國夫著/角川学芸出版 |
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平成25年 |
NHK文化センター熊本「男の和服講座」講師 |
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平成27年 |
小冊子:「熊本の失敗しない着物選び」出版 |
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平成28年 |
5月 |
新潟市にて和の國復興支援展(以降、柏崎市、高松市、茨城県、山形県にても開催) |
8月 |
「福幸手ぬぐい」 発売開始 |
10月 |
小冊子:「礼装着物ガイド本」出版 |
平成30年 |
「茨木國夫きもの宣言25周年」開催 |
茨木國夫/メディア暦
———————-現在に至る———————-
茨木國夫 プロフィール
野球少年&自由奔放な学生時代
きものサロン和の國の代表、茨木國夫(通称:くにさん)です。熊本育ちの57歳。熊本と着物が大好きです。
小さい頃から外で遊ぶのが大好きでした。夏は、川遊びやプール。冬は、缶けり、鬼ごっこ、なわ飛び、コマや凧あげなどに全力投球でした。小学校低学年は剣道部で、メンをつけたままボクシングごっこも楽しみの一つ。体育と給食は僕の出番で、友達が欠席となると思わずガッツポーズ。誰よりも早く食べて、欠席者の給食を食べることに喜びを感じるような少年でした。
どんなに寒くても半袖半ズボンで登校し続け、小学4年生から中学・高校は、ずっと野球一筋。毎日泥んこになりながら白球を追いかけていました。
家業は呉服屋、僕で3代目です。物心ついた頃から伯父に「國夫は、長男だから学園大を出て京都で修業して後を継ぐように」と言われていたので将来の夢など考えたことがありません。予定通り?地元の熊本学園大学に入学。高校までの硬派が一転し、酒、タバコ、麻雀、パチンコを覚え、ナンパが趣味となりこの世の春を謳歌しまくりました。
就職、そしてあとを継ぐも・・・
レールに乗せられた道を歩むのがイヤで、証券会社に就職。広島支店に配属となりました。その頃はバブルの全盛期。現実とのギャップについていけなく半年で脱落しました。
家族会議の下、後を継ぐことを決意し大阪の小売店に2年間住込みで働きました。一日5時間程の睡眠時間以外は、休日も先輩や社長と一緒。一人になりたくてはじめた「西国三十三ヵ所巡礼」が心の拠り所に。深雪に埋もれそうな看板には、「ひと言で人の心を傷つけ、ひと言で人の心を温める」の筆文字。父・母・友達などたくさんの顔が出てきました。
修業を終え、意気揚々と帰ってきました。しかし、父親と仕事の意見が折り合わないことも多々。上手くいかないことがあると環境や人のせいにし、パチンコや友人と飲み屋のはしごでウサをはらしていました。
27歳で結婚。長男長女に恵まれました。しかし、辺りをぐるっと見回しても、着物を普段に着ている人はいません。母は「日本の民族衣装だから絶対すたることはない!」と言っています。「俺の将来ってどうなるだろう。子どもは育てられるかな?」…と、見えない不安が顔を覗かせるので、未来を見ないようにして生きていました。
パリで『きもの宣言』
平成5年、32歳の出来事です。熊本県商工会青年部主催のヨーロッパ研修旅行があることを知りました。行程によると、丁度誕生日をフランスで迎えます。「おっ、パリで着物着たらイイね!」とひらめきました。次第に、「よし、この日から着物を着ようか!」と僕の心がスイッチオンに。「着物だけを着て生きていくことを、みんなに公言したら途中で投げ出せない。世の中で、誰もやっていないことだからカッコ良い。よし、『きもの宣言』と命名しよう!コレは最高だ!」父母の心配には耳を貸さず、アドレナリンがで出まくりました。「これで、店も全て上手くいく。」・・・と。
内心ニヤニヤしながら、スーツケースに着物を入れてのフライトです。洋服から一夜にして、着物姿になるとそれはモテモテ。椅子を引いてくれたり、料理を一番に運んでくれたり、ミラノ空港ではTVのコマーシャル撮影を受けたりと着物パワー全開。着物人生最高のスタートをきり、満面の笑みを浮かべ帰国しました。
スタートした着物生活
一生着物しか着ないという『きもの宣言』をしたので、日本に帰ってまず行ったことは、洋服を全て捨てる作業です。大学時代はトラッド。趣味が高じてオンワード樫山で働くほどの洋服好きだけど、たくさんの思い出ともお別れです。翌日タンスを開けたら、「あーーー本当に一枚も洋服が無くなった。」という虚しい気持ちに。でも、待ったなし!自分で決めた道、やるしかありません。
夢あふれた着物だけの生活から、土間に放り出され泣きじゃくる子どものような日々となりました。目立ち、衆目を集めることは想定外でした。旅行の添乗員のように旗を持って歩いているようなもので、何処に出かけても何をしていてもすぐ分かります。地元青年会の韓国旅行では、なんと待ち合わせ場所が「國夫くんの着物姿」だそうで、目がテンになりそうでした。ストレス解消の為の「カッ飛び運転」など着物姿ではもってのほか、街中ではおばさまのヒソヒソ話を耳にし、外出恐怖症にさえなりました。
洋服を全て捨て逆境に挑んでも売り上げ減少に悩まされ、将来の不安が消えることはありません。知人にお金を貸した変なご縁で(株)自然共有体という別会社を設立。トラブルに巻き込まれ「僕の人生も終わった!」と思ったこともありました。神さまが「着物のこと以外はするな!」と教えてくれたのでしょう。
「きものサロン和の國」オープン
「きもの宣言」から約10年間、菊池市を基盤に仕事をしていましたが、販路を求め熊本市内に出店。2号店となる「きものサロン和の國」を2004年にオープンしました。背水の陣で臨み業績も順調かと思えた矢先のリーマンショックです。大きな波にのまれそうになる中、「僕が日本の染織界を救わないと」と勝手に思い込み、大島紬の生地でアラブの民族衣装を作ろうとドバイビジネスに挑戦。その取り組みはNHK全国放映ともなりました。ビジネスは発展せずほろ苦い経験となりましたが、海外に出たことで日本の素晴らしきに気づくことができました。
大きく舵を切り直し、国内に目を向けたのが2009年、48歳の時です。僕の着物道を分かってもらう為に、『きもの宣言』を自費出版。一人で始めた「きもの宣言」でしたが、着物仲間が大勢いることに勇気をもらい、翌年「NPO法人きもの普及協会」を設立しました。
着物が好きなお客様を求めて、地元はもちろん、福岡・鹿児島・東京でも展示会を開催。東京組(銀座・青山などの着物専門店)に負けないよう競って仕入れをし、いつしか全国の着物ファンからも時折声をかけていただけるような着物専門店なりました。
2012年、2冊目の著書『和で幸福になる三十三箇条』を角川フォレスタより商業出版。東京・福岡などで講演もしました。店を留守にすることが多く、東奔西走の慌ただしい毎日が過ぎて行きました。
そのような中、月末はいろんな問屋さんの支払いが待っています。ある夜、かみさんの言葉が胸に刺さりました。「お父さんは、『問屋さんに支払って』と簡単に言うけど、どこにお金があるの?私もう限界!」
「頑張ってきたつもりなのに、俺の人生何だったんだろう???」身体が凍りました。思いついたら即行動に移す僕の性格が災いとなり、実は、かみさんに心労ばかりかけていたのです。全てを投げ出し逃げたくなりましたが、素直に詫びることができました。
熊本の地でお役に立ちたい。
何処に行っても、青い鳥はいません。
軸足をしっかりと熊本に据え、「皆さまに愛され、お役にたつ地域一番店を目指そう!」を合言葉に仕事に励みました。小さなことや目の前のことを大事にすると、お客様も戻ってきていただき地元での仕事も楽しくなってきます。神さまのお導きでしょうか。「NHK文化センター熊本」の男きもの講師や、2013年4月から毎月、熊本日日新聞で「たびゆけば」というコラムを一年間書かせて頂いたりするようになりました。
やんちゃな性格ですが、着物だけの生活は26年目を迎えます。日本でもトップ3に入るようなヘビーユーザーです。趣味が茶道・能楽となり、真夏も雨の日も雪の日も、結婚式も告別式も海外に行くにも着物なので「どんな場所にはどの着物を着た方が良いか?」「手入れ方法は?」「着付けの仕方は?」など、様々なアドバイスができるようになりました。
着物のおかげで、超自己中心的な考え方から「着物を着て頂きたい。熊本を文化の街にしたい。お役に立ちたい。」と心から思えるようになりました。そしてついに、「着物から豊かな和の心を育み、日本人の美意識を世界に広めたい」という和の國の理念をも掲げることができました。
より豊かな人生を、着物で送って頂けるように…
僕はこの生命を、着物に捧げる覚悟です。
お客様から「着物の中でいつも手に取ってしまうのは、やっぱり和の國さんの着物なのよね」というお言葉をいただいたとき、何ものにも代えがたい喜びを感じます。
より豊かな人生を、着物で送って頂けますように、この生まれ育った熊本の地で、祖父・父から受け継がれた呉服屋という家業に専念しつつ、着物から育くまれる豊かな和の心を探求してまいります。どうか今後ともお導きくださいますよう心よりお願い申し上げます。
ぜひ、お気軽に、熊本ホテルキャッスル横の「きものサロン和の國」へおでかけくださいませ。
スタッフ一同、笑顔でお迎え、おもてなしさせていただきます。
きものサロン和の國 茨木國夫 拝
【主な染織工房探訪先、及びお会いした染織家】
青森県/裂織、茨城県/本場結城紬、東京都/小島秀子、東京都八丈島/八丈織/菊池洋守、東京都八丈島/黄八丈めゆ工房、神奈川県/吉田美保子、栃木県/芝崎重一/芝崎圭一、石川県/士乎路紬、長野県/みさやま紬/横山俊一郎、京都府/喜多川俵二、京都府/洛風林、京都府/丹波屋、京都府/安田工房、京都府/市川染工房、島根県/天野圭、徳島県/本藍工房、福岡県/博多織、福岡県/久留米絣、鹿児島県奄美/本場大島紬/山口織物、沖縄県/芭蕉布/平良敏子、沖縄県/紅型/玉那覇有公…他
草木染/志村ふくみ、染織/山下健、染織/柳宗、染織/本郷孝文、染織/加藤富喜、型絵染/添田敏子、型絵染/森田麻里、型絵染/釜我敏子、花織/ルパーズミヤヒラ吟子、熊本県/岡村美和/黒木千穂子/島崎澄子/堀絹子/宮崎直美/溝口あけみ…他(敬称略・順不同)
茨木國夫 「商いの原点」
僕は、洋服を捨て25年目。昼夜を問わず、毎日着物だけを着続けています。
それを「きもの宣言」と命名していますが、宣言をする前の30歳の頃、忘れられない出来事が二つあります。
忘れられない出来事、その1
着物離れが加速する中、問屋さんから宝石・布団・掃除機・健康器具など、様々な商品の提案がありました。他社の成功例や「複合商品を扱わないと生き残れない」などの話が再三あると、不安になっていきます。
意を決し、宝石キャンペーンに挑みました。
僕の役割は、宝石の担当者さんとお客様宅に訪問することです。
お客様宅に訪問すると、横で聞いている僕が欲しくなるほど流れるような話しぶりです。
僕は、お求め頂くとお礼を言ってクレジットを切ればよいだけ。
最初は「おー凄い、ラクに売れる!」と思いました。
しかし、残ったのは「何かへん」違和感です。
「自分で理解していないものを、大切なお客様にオススメして良いのだろうか?」
「何かあったら、僕が責任を取れるだろうか?」
・・・などの気持ちがでした。
忘れられない出来事、その2
「きもの宣言」をする前年、「継承展」という大きな展示会を菊池市内のホテルで3日間開催しました。3代目就任ということで、黒紋付(くろもんつき)・羽織(はおり)・袴(はかま)姿で臨みました。問屋・マネキンさん合わせて10名にお手伝い頂くほど会場も広く、気合十分です。僕はご来場の方へのご挨拶と、着物をお求め頂いたら「ありがとうございます。」と御礼を言う役割です。
振袖営業の際にご縁を頂いたお客様が、訪問着をご試着なさっていました。「この着物似合う?」と僕に聞かれました。正直もう一枚の上品な着物の方が、地色が薄くお顔映りが明るくなると思いました。しかし問屋さんはご着装の着物を販売したいご様子です。空気を読んで思わず「はい、似合います!」と言いました。
「本当にそう思う?」と聞かれドキッとしましたが、「本当にそう思います!」と言葉を残しその場を立ち去りました。昼食を食べる時間がないほど連日たくさんのお客様にお出かけいただき売上げも上がりましたが、そのことが頭の片隅にずっと残っていきました。
「何のために、仕事をしているのだろう?」
「僕の存在価値は、どこにあるのだろう?」
・・・と自分自身への問いかけが始まりました。
自分で納得した商品だけを。
その翌年、着物だけで生涯を送ることを決めました。
『きもの宣言』をした理由の大半は、「将来への不安」です。しかし心の奥底に潜んでいた感情は「本当はお客様に心から喜んで頂きたいのに、本音を言わない弱い自分がイヤ!」という気持ちでした。
よくよく内観してみると、「自分で納得した商品だけ、自分で説明できないモノは絶対オススメしない」と心にくさびを打ち、本物人間を求めて着物と歩んでいくことこそが、真の「きもの宣言」でした。
お客様のお役に立つ着物屋を目指して・・・。
大正昭和にかけて、地元・菊池は養蚕(ようざん)農家が多かったようです。
そこで、初代・茨木弦雄は「京染」を通してお客様のお役に立つ為に、大正5年に創業しました。
2代目・茨木國廣は初代の思いを胸に、正直で真面目すぎるような真面目な仕事ぶりです。
少し腰は曲がってきましたが、80歳を超えてもなお現役。
母と毎日、コツコツと真面目な仕事を重ねています。
僕はまだまだ、初代・2代目のような真面目さが足りません。
しかし、この大きな2つの体験は僕の「商いの原点」とも言えるものでした。
「きもの宣言」から丸25年・・・。
僕も3代目として、商いの原点とも言うべき『お客様のお役に立つ真面目な着物屋』を目指し今日も歩み続けます。
著書紹介
『「和」で幸福になる三十三箇条』 茨木國夫著
出版:2012年11月15日
発売:角川グループパブリッシング
発行:角川学芸出版
定価:¥1,543-(税込)
著者:和の國代表 茨木國夫
※大人の女性の教養本です。
本著は、5部構成・33章となっていますので、どこのページからでも読めるようになっています。着物を着て、茶道や能楽を趣味としたことで体験から学んだことばかりなので、楽しく追体験が出来ます。
大人の女性の教養本は、広げた場所が、あなたにとって今必要な気づきの場所です。読むほどに和に目覚め、着物を愛し、日本人であることの喜びを感じる一冊です。
きっと、あなたの愛読書になることでしょう。
『きもの宣言』 茨木國夫著
出版:2009年7月7日
発売:和の國
定価:¥1,080-(税込)
著者:和の國代表 茨木國夫
洋服を捨て、きものだけの生活を始めて17年。和の暮らしに学んだ、日本人の美意識と人としての道
1993年の夏「きもの宣言」をして以来、仕事もプライベートも、すべてきもので通すことを決意してから、「ユニークな人物」として折々に取り上げられ、話題を呼んでおります。
そんな著者・茨木國夫が、きもの屋の3代目として、時には「あたりまえ」と思われがちな「きもの姿」 「きもの生活」での泣き笑いの日常を綴った自伝エッセイ。着物の入門書的な感覚で、ご寛容にお読みくださいますようお願い申し上げます。
『わが「志」を語る』 アンソロジー/茨木國夫共著
発刊:2014年11月7日
発売:PHP研究所
定価:¥1,728-(税込)
トップが綴る、仕事の原点・未来の夢
PHP出版から発刊された教育図書、『わが「志」を語る』に、茨木國夫が執筆した『「きもの宣言」に導かれた夢』が掲載されました。
洋服を捨て一生きものしか着ないという「きもの宣言」から22年(執筆当時)、短い文章の中に、全てをぎゅっと凝縮。「志」を持ち、「なすべきことをなす」という強い信念のもと挑戦を続けることが、成功への確かな道筋となります。
≪ 下記は、本著84~85頁に紹介された、茨木國夫の執筆です。お付き合いください。≫
「きもの宣言」に導かれた夢
洋服を捨て21年。昼夜を問わず、毎日、きものだけを着続けている。
僕は、創業百年になるきもの屋の3代目。24歳で家業を継いだが、怠け心が顔を出し、長続きしない自分が嫌だった。洋服姿できものを販売している業界に素朴な疑問を感じ、将来への不安も募るばかり。そこで、見えない恐怖を乗り越えるべくとった行動が、洋服を捨て一生きものしか着ないという「きもの宣言」である。両親の心配をよそに周囲に公言。背水の陣を敷き、200年前は当たりまえだった世界へ飛び込んだ。
32歳の夏にスタートしたが、現代社会での「きものだけの生活」は、想像もつかないことの連続だった。普段にきものを着ている人は周りに誰もいなく、何をしても目立った。待ち合わせ場所では僕が旗印となり、結婚式では新郎、葬式では住職に、癒しを求めた温泉では旅役者に間違われた。
着続けることで体感したきものの良さは無限にある。おへその約十センチ下の丹田で帯をギュッと結ぶと、背筋がピンと伸び、やる気が出てくる。一枚の布に包まれているので、守られている安心感がある。絹の艶やかさ・紬のぬくもり・木綿の優しい肌触りなど皮膚感覚で感じた喜びを商品選びに生かし、最良のものを提供することを心がけた。
きものの良さを世界に広める為、販路を求めドバイ・中国ビジネスに挑んだこともある。ビジネスそのものは発展しなかったが、海外に出たことで、日本の良さ・熊本の素晴らしさに気づいた。そこで、「きもの(和)のある暮らしを大事にしよう。」と共感しあった仲間と、2011年「NPO法人きもの普及協会」を設立。誕生日や祝日などの記念日をきもので祝う提案、無料着付け教室など、地道な活動を行っている。
長男として継いだ3代目。「きもの宣言」し、そして続けた。日本の知恵が詰まったきものは、着るだけで人を変える力があるのだろう。20余年の歳月によって、超自己中心的思考から神様を敬い先祖を大切にする精神が芽生え、「日本の民族衣装・きものを通して社会貢献したい」という強い気持ちになった。今僕が、生命を捧げてでも叶えたいことがある。
それは、「ふるさと熊本を、きもの姿あふれる文化の街に!」という夢だ。
きものサロン和の國 代表 茨木國夫